認知の(障害に気づく)きっかけ
グナ兄の障害認知という観点で、きっかけは2歳中頃、保育園の先生から「少し発達が遅いので、病院を受診してください。」と言われたことだった。
後々分かることだが、一番最初に成長遅延を気にしたのはグナ兄のおばあちゃんで、保育園の先生に「何か(障害が)あるなら、早めに言って」と都度伝えていたらしい。
自分の子供3人と孫の成長4人を実践してきた中で、のほほんと親バカをしている娘夫婦が気になっていたようだ。
それまで、産まれてくるのもハイハイも歩き出すのも全てがゆっくりだったので、言葉が出てくるのもゆっくりなのは、そこまで心配していなかった。
この当時、「パン」などの2~3語を、かろうじて発するレベルだった。
娘の成長を経験した今となっては、心配するレベルの遅れであるが、初めての子育てで未熟なグナ夫婦は、そこまでの危機感は感じてなかった。特にグナ父は。。。
実際、保育園の先生に言われた後も、障害を意識することはなく、いずれは追いつくだろう!大器晩成タイプなんだ!と思っていた。
病院に行って診察を受けた後も、成長を促す目的で月に一度の療育に通いだしただけで、あまり心配はしてなかった。
関東移住~幼稚園探し
その後数か月たち、グナ父の転職が決定し、8月に関東へ移住。移住間もなくして、新年度へ向けて、当時3歳のグナ兄の幼稚園探しが始まった。
グナ父もグナ母も、田舎育ちなのもあり、お受験なんかは考えられず、幼稚園の頃は、少しづつ社会のルールや人との関わり方を学べれば、それで良いと考えてた。
そのため、一番近くの幼稚園のプレ保育に参加し、そのまま入園することを考えていた。
しかし、ここで事件が起きた。
入園を拒否されたのだ。もちろん「受け入れられません!」と明確に拒否されたわけではなく、「もう一年成長するのを待って、二年保育(年中での途中入園)にしては??」と勧められたのだった。
プレ保育に参加している状況では、幼稚園運営に支障をきたすと判断されたようだった。
確かに、プレ保育では、泣いて反り返ることが多く、お母さんからも離れることが難しい状況だったが、入園を拒否された事実はグナ夫婦に衝撃を与えた。
その後、関東で再開した療育機関にも相談し、発達が遅れていても気にせずに受け入れてくれる幼稚園をいくつか紹介してもらった。
公的な支援センターであったため、紹介は難しいといわれたが、移住したばかりでまわりに知り合いも少なく、情報が少ないこともあり、無理を言ってこっそり教えてもらえた。
結局その中の一つの幼稚園に入ることになったが、この事件は、グナ夫婦に障害を意識させるには十分な出来事だった。
療育~進学
その後、幼稚園に通いながら、療育機関の支援を受けつつ、発達状況を確認するテストの結果(3歳3か月時点で、1年から1年半の成長の遅れ)や診断名を聞いたりすることで、徐々に徐々に発達障害という言葉が身近になっていった。
ただ、グナ父はまだ、しっかりと受け止められていなかったと感じる部分もあった。
そのころ、グナ母が図書館から借りてきた発達障害の本を見て、「そんなの必要ない!」と嫌な気分になっていたのも事実であった。
4歳の冬頃より、週1回のペースで児童発達支援事業をやっている会社の幼児教室に通所するようになった。年長になる頃には、受給者証を発行してもらい、ペースを上げて週2,3回の療育に通い、小学校入学に向けた準備を進めた。
小学校入学に際しては、年長の夏ごろに市の発達支援センターにて教育相談を受け、再度テストを実施し、初めてIQという数字で結果を示された。その時のIQは65。
提示されたときは、「やっぱりか」という感じで、そこまでの驚きはなかった。
そして、その時初めて軽度知的障害と認識した。それまで、発達障害なのか、知的障害なのか、発達障害にしても、自閉的な部分もあるし、ADHDのような傾向もあるし、様々な要素が少しづつ含まれていて、よくわからないのが正直なところだった。
IQを見て、小学校入学後、本格的な学習が始まってようやく、グナ家と最も関係があるのは軽度知的障害なんだと認識し、現在に至っている。
入園拒否事件より、療育に通いながら、少しづつ障害という言葉に慣れ、小学校入学に際して、ようやく障害を受け入れて、付き合っていく覚悟ができたように感じている。
幼稚園の先生に発達の遅れを指摘され、幼稚園とトラブルになるご家庭を見たこともあるが、私たち夫婦は幸いにして、ゆっくりと時間をかけて障害に近づいていくことができ、自然と受け入れる準備が整っていったように思う。それもこれも、療育だけでなく、親へのサポートもしてくれる児童発達支援事業の先生方や、細かく様子を伝えてくれ、サポートしてくれる幼稚園の先生方、まわりの様々な助け合ってのこと。まわりのサポートに感謝して、これからも息子の障害と付き合っていきたい。



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